ハニー・コールズは、1911年4月2 日ペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれました。地元のストリートでタップを学び、1931年に『スリー・ミラーズ』のメンバーの1人としてラファイエット劇場でニューヨークにデビューしました。彼らはオバー・ザ・トップ、バレルターン、ウィングスなどを得意とし、複雑で難易度の高いステップを、けっして広いとは言えない舞台で巧みに踊ることで知られていました。


 そして1934年、ハーレムオペラハウスやアポロシアターで主演を務めるため、本格的にニューヨークへ進出。その華麗な足さばきは、“ショービジネス最速の足”と評価され、また、タップに真摯に取り組むタップダンサーだけが集まったことで知られる『Hoofers Club』では、“未だかつて見たことがないほど、優雅で上品なダンサーの1人”と称されました。


 1936年から1939年には大きなサイコロの上でのパフォーマンスで知られた『ラッキー・セブン・トリオ』と共演。ひとつのショーで10着もの衣装を用意し、次から次へと衣装替えをしながら踊り、たくさんの人を楽しませました。


 その後もデューク・エリントンや、カウント・ベーシーのバンドとツアーをし、1940年代には『キャブ・キャロウェイズ・バンド』で専属ソロダンサーとして活
躍。その頃、後に1960年代に流行したリズム&ブルースの歌手の振り付けで大成功を収めたチョーリー・アトキンスと出会い、チームを組むことになりました。


 コンビ名は『コールズ&アトキンス』。洗練された“クラスアクト”というスタイルで知られ、特に『Taking a Chance on Love』という曲に乗せて踊るクラシック・ソフトシューは有名です。彼らのショーはアップテンポな歌とタップで始まり、スウィングダンス、ソフトシュー、そしてタップバトルで幕を閉じるスタイル。名コンビ『コールズ&アトキンス』は19年もの間、続きました。



 1944年、アポロシアターのダンサーだった女性と結婚し、2人の子供に恵まれるなど、私生活も順風満帆だったハニー・コールズ。ニューヨークの54丁目に『Dance Craft Studio』をオープンし、1949年にはミュージカル『Gentlemen Prefer Blondes(紳士は金髪がお好き)』でブロードウェイへのデビューを果たしました。


 しかし、1950年代は“タップが死んだ“と言われた時代。仕事もなくなり、1960年に『コールズ&アトキンス』も解散を余儀なくされ、その後16年間は、アポロシアターのステージマネージャーの仕事をしながら、ビル・ボージャング・ロビンソンの精神を受け継ごうと集まったダンサーたちによって構成されたタップユニット『コパセティッ
ク・クラブ』としての活動を続けていました。


 そして、1962年、『Newport Jazz Festival』で『コパセティック・クラブ』としてステージに返り咲き、その後、見事に再生を果たして行くアメリカ・タップ界の最先端を走り続けました。


 1970年代は、ブレンダ・バファリーノとともにに踊り、コンサートキャリアにさらに厚みを増した時代。1976年にはミュージカル『Bubbling Brown Sugar』に出演。1978年に行われたニューヨークのバレエ団『Jeffrey Ballet』の公演での彼のパフォーマンスは、タップをコンサートアートの領域にまで押し上げました。


 1980年代には、エール大学、デューク大学、コーネル大学、ジョージワシントン大学などで、ダンスとダンスの歴史を教えながらステージでも活躍。1983年、72歳の年には、ブロードウェイミュージカル『My One and Only』に出演し、Tony Award、Drama Desk Awards、Fred Astaire Awardを受賞。『The Cotton Club』(1985年)、『Dirty Dancing』(1987年)に出演するなど映画でも活躍し、Dance Magazine Award(1985年)、Capezio Award(1988年)、National Medal of Art(1991年)を受賞するなど、その活動は高く評価されました。


 現役生活の幕を閉じたのは、1987年の『Colorado Tap Festival』。かつての名パートナー、チョーリー・アトキンスと踊ったのが最後のステージとなり、その5年後の1992年11月12日、81歳の年にニューヨークで亡くなりました。



 私は『Tap Dance in America』というテレビ番組の収録現場に立ち会った時に1度だけお会いしたことがあるのですが、お話がとても上手で、紳士的で、すらっとし
ていて、“ナイスガイ”という表現がぴったりな、とても素敵な方でした。


 かつてハニーが振付をし、ブレンダ・バッファリーとともに踊った『Taking a Chance on Love』を、グレゴリー・ハインズとトミー・チューンが踊る姿をうれしそうに、温かいまなざしで見つめていたのが印象的で、私はそのナンバー
が忘れられず、後にその振付をブレンダの元に学びに行きました。


 また、ハニー・コールズが振付をした有名な『Coles Stroll』というナンバーも学んだことがありますが、タップを踏みながら歩くだけにも関わらず、とても洗練されています。


 最近では日本でも披露される機会が多くなった 『Bojangles’ Doing the New Low Down』も、彼が生み出したビル・ボージャングルへのトリビュート作品です。彼のダンスは、今でも若いタップダンサーたちの中に脈々と生き続けているのです。


 マスターティーチャーである彼の言葉 「If you can walk, you can tap(歩くことさえできればタップは出来る)」も、とても有名です。「タップは唯一のアメリカンダンス」と力説したことも、その後に続く後輩たちに大きな影響を与えています。


 ITA(International Tap Association)の名誉会長でもあるハニーの映像は、前出の『The Cotton Club』『Dirty Dancing』 のほか、『Great Feats of Feet』『The Class Act of Tap』など、いろいろなビデオ・DVDで見ることができます。

また『コールズ&アトキンス』の有名なソフトシューについては、サム・ウェバーが教則DVDを出していますので、機会があったらぜひご覧になって、彼の素晴らしい作品について学んでいただけたらと思います。

 
●みすみ "Smilie" ゆきこ
http://www.artntap.com

 NYでDr.ヘンリー・レタン、ブレンダ・バッファリーノに師事。その後、数多くのタップマスターから学び、Dr.ジミー・スライド、ダイアン・ウォーカーから多大な影響を受ける。帰国後はライブ・TV・CM出演、CDへの参加など幅広い分野で活躍。

 海外のさまざまなタップ・フェスティバルにゲスト講師・ソロパフォーマーとして招かれるなど、国際的に活躍中。Japan Tap Dance Scholarship Programを主宰し、才能のある日本人タップダンサーをアメリカに送り出すサポートを行っている。

ITA日本代表 ARTNタップダンススタジオ主宰



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