今回ご紹介するのは私たちの世代のスーパースター、グレゴリー・ハインズです。彼は半世紀以上にわたり、映画やテレビ、ブロードウェイミュージカルに出演し、若い世代のタップダンサーに多大な影響を与えました。


 また彼は、年配のタップマスターたちを再び表舞台に登場させるなど、彼なしでは、現在のタップ界はなかったと言っていいほど数多くの功績を残しています。



 グレゴリーは、ニューヨークのワシントンハイツで1946年2月14日に生まれました。3歳の時から、振付師としても知られるタップマスターのヘンリー・レタンに師事し、8歳の時に兄のモーリスとともに『The Hines Kids』としてプロ活動をスタート。世界中の劇場やナイトクラブを周り、テレビにも出演しました。


 1954年には、テレビ番組 『Tonight Show』に40回ほど出演。1964年にはミュージカル『The Girls in Pink Tights』で兄弟そろってブロードウェイデビューを果たしました。同作品のツアー公演には彼らの父親もドラマーとして参加し、その後はチーム名を『Hines, Hines & Dad』と変えて活動を続けました。


 子供の頃から兄とともにハーレムのアポロ劇場で、チャック・グリーン、ハニー・コールズ、テディ・ホール、ニコラス・ブラザーズ、ハワード・サンドマン・シムズなどのタップダンスを見て育ったグレゴリーは、舞台の休憩時間に地下のリハーサル室に集まり、ウォーミングアップを兼ねてジャムをしている彼らを目の当たりにし、タップという芸術に魅せられ、自らリズム作り出すことを学びました。


 兄のモーリスはその頃のことを振り返り、「グレゴリーは皆から愛されていました。なぜなら彼は何も恐れずに、自分からどんどんチャレンジして行ったからです」と語っています。



 しかし当時はビッグバンドの全盛期が去り、ジャズクラブが次々と閉まって行った時代。ブロードウェイではミュージカル『West Side Story』が成功を納めたことでバレエやジャズダンスに注目が集まり、タップダンサーは仕事をどんどん失っていきました。


 グレゴリーと父、兄の3人で活動していた『Hines、Hines & Dad』も例外ではなく、1970年代に入るとグレゴリーはこのチームからも、タップからも離れ、最初の結婚をし、カリフォルニアに居を構えて妻と子供と静かに暮らしていました。


 しかしカリフォルニアに移住してから約5年が経った頃、再びタップへの情熱が再燃。ニューヨークに戻り、1978年には兄・モーリスとともにヘンリー・レタン振付のブロードウェイミュージカル『Eubie!』に出演し、トニー賞にノミネートされました。


 その後も1979年には『Comin’ Uptown』、 1981年にはヘンリー・レタン振付の『Sophisticated Ladies』に出演。1992年の『 Jelly’s Last Jam』では、当時、天才児と騒がれていたセヴィオン・グローバーを起用。ついにトニー賞を受賞しました。


 映画では、1985年に封切られた『White Nights』で現代音楽とタップを見事に融合させました。グレゴリーのパフォーマンスは、世界的な人気を誇るバレエダンサーであるこの映画の共演者、ミハイル・バリシニコフに勝るとも劣らないと称賛され、タップの芸術性をバレエと並ぶ地位まで押し上げました。


 また、1984年にはハーレムのジャズクラブを舞台にしたフランシスコ・コッポラ監督の映画 『Cotton Club』 に出演。


1989年には映画『TAP』に出演し、当時10代だったセヴィオン・グローバーのほか、ハワード・サンドマン・シムズ、ジミー・スライド、バニー・ブリッグスなど伝説のタップダンサーたちと共演。


 ロックとタップを融合させたこの映画は、20世紀を生きたすべての世代のタップダンサーの功績を称え、その足跡を残すものとなり、また、タップの人気をさらに確かなものにする上での大きな原動力になりました。


 ビル・ボージャングル・ロビンソンの誕生日である5月25日に世界中でタップ関連の行事が行われる『NATIONAL TAP DANCE DAY』が、1989年にアメリカ議会の承認を受け、正式に制定された際も、グレゴリーはワシントンD.C.に出向き、議会に働きかけるなど尽力。


 2003年8月9日、57歳という若さで、13ヶ月に及ぶガンとの戦いの末、永遠の眠りにつくまで、数多くのタップイベントをサポートし、亡くなる直前まで『New York Tap Festival』『Los Angeles Tap Festival』の立ち上げにも貢献しました。


 彼の死はタップ界にとって、未だに大きな大きな損失です。しかしながら、彼が遺した数々の足跡、功績、タップを愛する思いは、世代を超え、多くのタップダンサーの心に受け継がれています。


 グレゴリーは私にとっても、誇れる兄弟子でした。スタジオに行ったら彼が偶然、自主練をしていて、憧れの眼差しでそっと覗いていたら、それに気づいた彼から
「Come in ! Let’s Tap together」と声をかけてもらい、ドキドキしながら一緒に練習してもらったこともあります。


 日本でのソロ公演も2回。焼酎のテレビCMに出演するなど、日本とのご縁も深いタップダンサーでした。


 誰に対してもいつも優しく、温かく、思いやりにあふれ、先輩を心から愛しリスペクトし、惜しみなく若い人をサポートしていたその姿は、今でも私の心にしっかりと焼き付いています。


I Love Gregory.

 
●みすみ "Smilie" ゆきこ
http://www.artntap.com

 NYでDr.ヘンリー・レタン、ブレンダ・バッファリーノに師事。その後、数多くのタップマスターから学び、Dr.ジミー・スライド、ダイアン・ウォーカーから多大な影響を受ける。帰国後はライブ・TV・CM出演、CDへの参加など幅広い分野で活躍。

 海外のさまざまなタップ・フェスティバルにゲスト講師・ソロパフォーマーとして招かれるなど、国際的に活躍中。Japan Tap Dance Scholarship Programを主宰し、才能のある日本人タップダンサーをアメリカに送り出すサポートを行っている。

 2011年2月には、自身が主宰するARTN タップダンスカンパニー公演『Regend of Tap』を開催。高い評価を受けている。

ITA日本代表 ARTNタップダンススタジオ主宰



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