★音楽がとてもお好きなご家庭で育たれたそうですね。
実家は京都・西陣の帯屋なんで、家業は音楽とまるで関係ないんですけど、父も母も戦後、ラテン音楽とかジャズとかダンスホールとか、そういうものに囲まれて青春を過ごした世代で、母はピアノ、父はエレクトーンやギターをやっていて、家の中でも口笛吹いて手拍子打ちながら歩いていたような人で。
母方の祖母はピアノや小唄、叔母も三味線をやっていたりで、商家なのに、お商売の話よりも音楽やダンスの話ばっかりという家でした。

母がタップを好きで、自分もやりたかったと思うんですが、母が生まれ育った家のまわりには教えてくれるところもなかったみたいで、その夢を私に託したんでしょうね。
姉は日舞やバレエをやっていたので、私自身は本当はバレエがやりたかったんです。でも子供の頃はすごい引っ込み思案で、人の影に隠れるような子だったので、人前に出るのが怖くて。
バレエをやるなら小さい時からやらないとダメだと言われていた時代だったので、9歳では遅すぎるかなというのもありましたね。今から思えば、そんなことはなかったんですけれど。
そんなわけでなんとなくタップを始めたんですが、習い始めてみたら生徒をホメて育てるタイプの先生で、それが私にとても合っていたので続けることが出来ました。高校と大学では音楽を専攻していたんですが、タップは一度も止めたことがなかったですね。
★音楽と言ってもいろいろですが、高校・大学時代のご専門は?
声楽です。もちろん声楽専攻であってもピアノはやらなくちゃいけないし、そのほかにもエレクトーンでコンクールに出たり、いろいろなことをやっていました。
★そこまで本格的に勉強されたのに、声楽家の道を選ぼうとは思わなかったんですか?
実は、大学を卒業したらフランスで声楽を勉強することになっていたんですよ。そしたら、当時、師事していた声楽の先生が亡くなって機会を失ってしまったんです。あの頃はまだ”女性は結婚して家庭に入るもの“と思われていた時代だったので、私もそうなるのかなーと思っていたら、ダンスの学校で一緒だった女性から「イギリスに留学したらすっごく面白かったよ」と聞いて。
ちょうどイギリスのミュージカルが話題になっていた頃で、英語もすごく好きだったんで、英語とダンスが勉強出来るんだったら、とりあえず行って、帰ってきたら結婚して年貢を納めようと思うようになったんです。
で、イギリスに行ったら、向こうで出会った人に「ちょっとニューヨークに遊びに行かない?」と誘われて、行ってみたらすごく体質に合っていたみたいで、あれよあれよとアメリカでの生活にハマってしまったということですね。
★アメリカとイギリスでは、ダンスの世界もそんなに違いがあるんですか?
イギリスにももちろんいいところはたくさんあるし学べることもいっぱいあるんですけど、実際に行ってみると、”異文化は受け入れるけれど、異国の人間は受け入れない“という空気があるように思いましたね。ダンススクールに行っても、日本人だとわかると途端にバリアを張られてしまう、みたいな。でも、アメリカにはエブリバディ・ウェルカムな気質があって。そのへんが大きな違いだなと私自身は感じました。
例えばイギリスでは、上にいる人が這い上がって来ようとする人をなるべく蹴落とそうという雰囲気がなきにしもあらずだったんですけど、ニューヨークはまず大前提としてエブリバディ・ウェルカム。やる気のある人に手を差し伸べて引っ張り上げようとするんですね。
もちろん競争も激しいですから、頑張って結果を出さないと手に入れたポジションもすぐに失ってしまいますけど、人種などのバックグラウンドに関わらず、やる気と実力のある人にはチャンスをくれる、そういうカルチャーが私に合ってたんじゃないかと思います。
★その後も、何度か行き来していらっしゃいますね。
そうですね。私、日本も、生まれ育った京都も、自分の家族も大好きですし、時代も時代でしたから、最初にニューヨークに行った時も、やっぱり日本で家庭を持ちたいと思って、一旦帰国したんです。そしたら、思いがけず父が重病にかかっていることがわかって、結婚して孫の顔を見せるなんていうことも出来ないままに亡くなってしまったんですね。
さらに悪いことは重なるもので、時期を同じくして、祖父と祖母、友達のお姉さん、友達のお父さんが相次いで亡くなってしまって。23とか24の頃って、お仕事のお付き合いもそれほどないですから、本当に近しい方のお葬式にしか行かないじゃないですか。そんな年頃なのに、短い間に8回くらいお葬式が続いて、精神的にすごく落ち込んでしまって、電話が鳴ると「また何か悪い知らせじゃないか」とビクビクするし、夜中も自分の泣き声で目が覚めてしまったり。

その時は、本当に3ヶ月くらいで帰って来るつもりだったんですけど、もう来ることもないかもしれないからと、いろいろなところに顔を出していたら、いろんな方に声をかけていただいて。それが、アメリカで本格的な活動を始めるきっかけになりました。
★東洋人初のメンバーになったATDO
(American Tap Dance Orchestra)に入ったのも、その時ですか?
そうですね。週末に通っていたタップジャムで、ブレンダ・バッファリーノが主宰しているATDOのメンバーに「オーディションを受けに来なさい」と誘っていただいたんです。その頃、私はリズムタップとは無縁だったんですけど、当時はまだシアタータップの世界では日本人にチャンスが与えられない時代でしたし、そんなに熱心に誘って下さるのであれば受けてみようかなと思いました。
で、オーディション会場に行ってみると世界中からいっぱい受けに来ているし、ジャンル違いのリズムタップの振付はつかみにくいし、難しいし、出来ないし。でも、最後にインプロのテストがあって、そのおかげで合格することが出来ました。
あの頃はタップジャム全盛の時代で、ラ・カーヴに行けばジミー・スライドはいるし、チャック・グリーンやロン・チェニーはいるし、そうそうたるメンバーが揃っていました。そんな中で切磋琢磨したことが懐かしいです。
★ATDOに入って、初めて本格的に取り組むリズムタップはどうでしたか?
ATDOでは、徹底的なトレーニングが待っていました。シアタータップの世界からリズムタップの世界への転向ですから、何十年も積み重ねて来たものは覆されるし、新しいテクニックを身につけなければならないし、コミュニケーションはもちろん全部英語だし、とにかくゼロからの挑戦でしたね。すでに何年もメンバーとして活躍している人もいるわけで、人間関係のストレスも大なり小なりありましたし。
でも、なんとか食らいついて頑張っているうちに自分でも思いがけないくらいに楽しくなってきて、頼まれていろいろなお仕事をさせていただくうちに、自然に長くいてしまったということですね。
★現在も『Tapage』として一緒に活動を続けられているオリビア・ローゼンクランツさんとはどこで出会ったんですか?
オリビアとはバーバラ・ダフィーのクラスで知り合いました。彼女は、フランス人なんですけど、ATDOに入るためにアメリカに移住して来ていたんですよ。ATDOは、ヨーロッパではそのくらい有名なタップダンス・カンパニーなんです。

まず世代や目指す方向性が同じだったこと。ATDOで同じトレーニングをして、同じ時代をシェアしていたという点も大きいですね。彼女とはもう20年以上になりますから、お互いいいところも悪いところも知ってます(笑)。
★20年以上も一緒に活動されているなんて、素晴らしいですね。
最初は、オリビアと私とアメリカ人の女性との3人で、『Tapage au Troi』というユニットをやっていました。現在の『Tapage』とはまったく違う”唄って踊る”というスタイルのユニットでした。でも、いろいろな事情でアメリカ人の女性が抜けて、その時点でユニットは一旦解消して、私も帰国しているので、正確に言うと途中で中断期間はあるんですけど。
★でも、またアメリカに行って活動を再開されたのは?
いざ日本に帰って来てみると、“やり残した感“を感じるようになったんです。
『Black and Blue』というミュージカルが上演された後、タップが再注目されている頃で、グレゴリー・ハインズが主演した『TAP』という映画や、黒人の歴史を綴った『Bring In ‘Da Noise, Bring In ‘Da Funk』というミュージカルでセヴィオンがすごい人気になっていて、 ことあるごとに“黒人と白人”という図式ばかりがクローズアップされるようになっていたんですね。
そんな中で、私は日本人であるがゆえにそのどちらにも入れないということに無力感を感じて、また、向こうの世界にもどっぷり入り込み過ぎて見たくないものまで見てしまったというのもあって帰って来たわけなんですけど、帰って来てしばらくすると、黒人でもない白人でもない私ならではの感性やテクニックで、何か新しいものを生み出すことが出来るんじゃないかと思うようになったんですね。
それで、いつ、どういう形で戻ろうかと考えていた時に、文化庁のアーティスト海外派遣制度への応募を思いついたんです。
★文化庁の派遣芸術家在外研修員ですね。
そうです。今やっている表現のスタイルにも通じるところなんですけど、音楽は音楽、ダンスはダンスと分けて考えるのも、ジャズとファンクを別個のものと考えるのも何かしっくり来ないし、私の中では全部一緒なんだと気づき始めた頃だったんで、応募する時も音楽と舞踊と2つの部門に丸をつけたんですけど、結局、舞踊部門で受かって、ニューヨークのマネス音楽院という音楽大学で、20世紀の音楽とモーツァルトの音楽の比較をしたり、バロック・コーラスの部活をやったり、ありとあらゆるものを体験しようと、とても中身の濃い時間を過ごしました。
いろいろなものを吸収して、なんとか新しいものを創り上げたいという欲があったし、国のお金で行かせてもらってたので結果も出したかったですし。何かをつかみ取って、今までにはなかった新しい何かを確立して帰りたいという気持ちが強かったですね。
★確かに『Tapage』のステージを拝見すると、とても独自性の高い表現をなさっていると感じます。
他の人がやっていることをなぞっても意味がないですからね。特にニューヨークでは、そんなことをしていても誰も評価してくれませんから。

アメリカでも第一線で活躍している人はみんな、しっかりした基礎もあって、スタンダードなジャズも踊れて、その上でどうやって自分ならではの表現を生み出せるかというテーマに真っ向から取り組んで、その結果を出している人ばかりなんです。
ルンバタップで知られるマックス・ポーラックも、ジャズのカンパニーにいて、そういうことも当然出来て、その上でどうやったら人と違うこと、自分たちが本当にやりたいことが表現出来るのか追求した結果、ああいうスタイルを生み出したわけですから。
曲ひとつ選ぶにしてもみんな、いかに他の人の使っていないカッコいい曲を発掘して来るかに、命を賭けているようなところがありますね。
★『Tapage』のパフォーマンスでも、ジャズあり、民族音楽あり、クラシックあり、日本の箏曲もあり…とさまざまなジャンルの曲が使われていますね。
私自身がもともとクラシック界の出身なんですけど、ジャズはもちろんのことJ-POP、ポピュラーミュージック、ブラジリアンから演歌、民謡、和太鼓なんかも好きで、“いいと思った曲がいい”という考え方なんです。
ダンスにしても、タップが主ではありますけれど、ガンブーツ・ダンスやサンド・ダンスなどいろいろなものを取り入れていますし、自分たちが目指す表現に必要なものであれば、ジャンルに対するこだわりはあまりありませんね。
★そうした姿勢が、『Tapage』にしか出来ない、ユニークな作品づくりにつながっているんですね。
もちろん、私たちの舞台をご覧になって「何なの、これ」という拒絶反応を示される方もいらっしゃるかもしれないとは思うんです。私たちもそういうリスクは承知の上で、あえてチャレンジしている部分もありますし。
でも、「なるほど、こういうのもあるよね」と好意的に捉えてくださる方もいらっしゃると思いますし、普段、モダンやコンテンポラリーの舞台に足を運んでいる方々にもタップをご覧いただく機会になればいいなと思っています。
芸術は嗜好品ですから、好きずきはあって当然だと思うんです。でも“好きか嫌いか”と“いいか悪いか”は、またちょっと違う物差しであって、「私は好きじゃないけど、すごいのはわかる」とか、「人気はないけど、こういうところは素晴らしい」とか、そういう評価の仕方もありますよね。なので、まずはご覧いただいて、その方なりの受け止め方をしていただけたらと思いながら、いつも全力で踊っています。(→PART 2へ続く)
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フランス人タップダンサーのオリビア・ローゼンクランツとともに
音楽とダンスの融合を目指すユニット『Tapage』を結成。
さまざまな国に招かれ、公演を行い、指導・振付を行うなど
世界を舞台に活動を展開するタップダンサー・藤林真理さん。
海外で活躍する日本人の一人として
他分野からも注目を集める藤林さんに、
これまでの活動の軌跡、2010年5月に日本初公演を行う
舞台『Dansaq』の見どころなどをうかがいました。
●藤林真理オフィシャルWEBサイト http://marifujibayashi.com
●Danasaq オフィシャルWEBサイト http://marifujibayashi.com/dansaq/
Special Interview vol. 15